1月4日の夜、ダンナがICUに入院しました。

新年早々高熱が続き(扁桃腺炎と診断されていました)、仕事もずっと休んでいたダンナ。
やっとの思いで4日の夜にわずかな食事をした直後に脈拍が急に速くなり、微弱でチアノーゼの症状が出ました。
以前からごくたまに脈拍が速くなることがあって、不整脈の気があるとは思っていましたが、いつもはすぐに収まるのにまったく正常に戻らず、電話で友人のドクターに指示を仰ぎながら病院に急ぎました。
到着してもまだ収まらず、エマージェンシールームに運ばれ、私は入ることを許されずにカーテンを引かれて心電図などの装置をあわただしく準備されていく様子を、何が起こったのか冷静に考えることも出来ずにガラス越しに見ていました。
「奥さん、ですか?」
タイ語で書かれた書類を用意され、記入するように言われました。
入院の手続きのようです。
点滴が開始され、脈拍は落ち着いたものの手足が冷たく血の気の引いた顔のダンナが横たわるそばで、震える手で書類を記入していました。
「何が、何が起きたんでしょうか?」
ドクターは「大丈夫」としか言いません。
「今夜からICUで監視しますので、今日はお引取りください。」
それだけです。
ストレッチャーでICUに運ばれてゆくダンナ。
そこは面会時間も限られ、私たちはそばにいても病院にいても一目も会うことは出来ません。
「明日の面会時間は9時からです。一度に2名ずつしか入室できませんので。」
無理やり引き剥がされるような気持ちで、私だけ自宅に帰りました。
冷たくなった食事がちらかる狭いアパートには、ダンナがいません。
なんだかそれを実感したくなくて、夜中に掃除をし続けました。
皿を洗い、テーブルを拭いて、棚もガラスも床も拭き続けました。
誰とも話もしたくはありませんでした。
説明するのと同時に、今現在の起きたことを改めて確認したくなかったのです。
翌朝7時には病院に行っていました。
面会時間には親戚や両親が集まってザワザワ話をしていましたが、私は「大丈夫。大丈夫。」それを繰り返すことしかできませんでした。
9時から1時間の面会。あっという間の時間。
次の12時の面会時間まではダンナの母親と待つことにしました。
必要以上にうろたえる母親とは距離をおいて過ごしました。
母親は1時には自宅に引き上げましたが、私は次の5時の面会時間まで待つことにしました。自宅からは車で約20分もあり、交通手段を持たない私は一度帰るという頭はなく、ICU入り口の屋外に東屋が用意されていたので、そこでずっと座って、むせ返るようなブーゲンビリアの花を見続けていました。
途中、私の仕事場から電話があり、ダンナの病状を聞いてきました。
「大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。」
「ちがう、あなたは、大丈夫?」
電話を切ってから次々に涙があふれてきました。
どうしてこうなったのか、わからない。
何が起きたのか、わからない。
なんでひとりでこんなところにいるのか、わからない。
大丈夫かどうかも、わからない。
これからどうなるかも、わからない。
わからないことだらけの恐怖感が一気にふきだしました。
とにかく、神様、仏様。
ダンナを連れてゆかないでください。
それだけは、それだけは絶対にやめてください。
夫婦になったときから、いつかはどちらかが看取る運命ということはわかっています。
でも、そんな覚悟は今出来ていません。
あまりにもひどすぎます。
彼はまだ28歳です。私たちの時間を奪うのでしょうか。
これからの人生、何が起きてもかまいません。
私の手や足一本や二本は奪ってもいいです。
ただ、今、ダンナを連れてゆかないでください。
私はこのときに、心筋梗塞だと思い込んでいました。
自宅にある医学書の症状と重なっていたからです。
恐怖の次は、怒りです。
どうして医者は何も言わないの?
早く私立病院のもっといい施設に転院させてよ!
タイはなんでこんなに医学が遅れているの!
日本だったらもっともっと優れた医師が最新施設で調べて治してくれるじゃない!
1日3回の面会時間を終え、雨が降る中タクシーで自宅に戻りました。
いつも以上にきれいになっている自宅には、やはりダンナはいません。
気が付くと、友人の歯科医に電話をしていました。
「はろ〜ぉ!元気ぃ〜〜!!」彼はいつも底抜けに明るいです。
「うん、うん、元気。」
「ダーリンはぁ〜〜?仲良くやってるぅ〜?」
「うん。あのね、えっと、今病院に入院しているんだ。ICUに。」
「!?どういうこと??ゆっくり話して。」
私は一気に今の状況を話続けました。どうして発作が起きたのか、どういう症状でどういう現状で、バイタルサインの数値、すべて起きたことを話し続けました。なぜ医者は何も治療せずに監視しているだけなのか、転院させないのか、心臓医でもないくせに。検査機械もないのに何が正しくて何が間違っているのかもわからないはずなのに、なんで?と不満もぶちまけていた。
「まず、妹(同じくドクター)に連絡するね。あと担当ドクターの名前とダンナのフルネームを教えて。私の友達にはタイで有名な心臓外科医がいるの、ハーバード大出ているから。今プーケットかバンコクどっちにいるかわからないけど、確認してみる。いい?すぐにかけなおすから。」
彼からの電話を待つ30分の長いこと。携帯電話を見続けてました。
「いい?まずは落ち着いて。ダンナは大丈夫。
バイタルサインで治療が成功していることは少なくとも今連絡をとった3人の医者が認めている。僕は信用しなくていいけど、心臓外科医が言っているから。ハーバード大卒の先生は残念ながら今はバンコクにいたけど彼も現状で問題ないと言ってた。
転院させていない理由は、いい?プーケットの有名病院でも実は施設は満足にはそろってないの。これも確認した。それより安静にしていることを選択していると思う。これも間違っていない。
あと、ダンナの年齢・体型・既往症を見ても心筋梗塞とは考えにくい。心電図見るだけでほとんどの医者はわかるから。よほどのヤブは別だけど。ただ、ICUで監視をしてくれているのは最高の選択ね。一般病棟にいればダンナはきっと来客も多くてゆっくり休めないだろうし。何もしていないのは心臓に問題があるよりも、きっと高熱のせいだと思う。風邪を早く治す治療をしているんじゃないかな。
とにかく、もし心臓に問題があったとしてもそれは今どうこうって話じゃないし焦らなくてもいい。
今はパーフェクト。彼は大丈夫。僕だけじゃなく、医者仲間が全員そう言っているからね。
安心して。それより、あなたが倒れることにならないように。
あとはとにかく、いつでも何時でも電話ちょうだい。ね。」
私はこの彼の電話に、ものすごく救われた。
誰ともしゃべりたくなかったけど、なぜかたった一人、彼だけに連絡を取っていた。
冷静に話してくれて、そして興奮している私の話を黙って聞いてくれて、どうして彼が大丈夫なのか?を丁寧に説明してくれて。
次の朝も7時には病院にいた。
職員たちやドクターの出勤を、定位置となった東屋で眺めていた。
9時になって面会しに行ったときにちょうど担当ドクターの往診が来た。
「うん。もう通常になったね。熱はまだちょっとあるか・・・。今日は一般病棟に行って、熱が下がれば明日退院で。タバコはもうやめるように。では。」
え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。それだけ〜〜〜???
「あの、あの。心筋梗塞とかの心配は?」
「ない。絶対、ない。」
「狭心症は・・・・??」
「それもない。」
「じゃあ、なんだったんでしょうか?」
「高熱と脱水による発作性頻脈。よくあることだけど、熱が下がらない限りはまた発作起こるかもしれないからね。」
「心臓病は・・・・?」
「まだ若いし、ないよ。まあまたタバコ吸い続けたらそりゃ心筋梗塞に本当になるかもしれないけどね。あとは、少し運動しなさい。」
ひょうひょうとしたドクターの受け答えに、安心感からか腰が抜けそうになってしまった。
同時におなかが「グーーーッ」となった。
あの夜から丸2日、何も食べていなかったからだ。
その日の夕方には一般病棟に移動して(個室にしてもらった)親戚がワイワイガヤガヤやってきて、ダンナを心配していった。
その日の夜は私も同じ病室に泊まったが、次の日の朝には早々に退院となった。
心臓の薬はひとつも出ずに、風邪の薬を2つだけもらっただけだった。
退院してすぐに歯科医の友人から連絡をもらって、ドクターの診断名を伝えると安心して喜んでくれた。
「心筋梗塞じゃないだろうって思ってたけど、まあ、体力回復したら念のため検査しておくといいよ。いいドクターに予約入れてあげるからそのとき連絡ちょうだいね。心臓はものすごい速さで強くも弱くもなる臓器なの。エクササイズした方がいいよ。」
友人の日本の医者(外科医だけど)にメールで「意見聞かせて」とすべて起こったことを伝えた。
昨日返信が来たが、「目の前で見ていないけど」という前置きで、
「そちらのドクターの見立てで間違いないと思う。日本でもその程度の症状であれば造影剤まではしない。そこの病院での機械で十分。日本の病院だって心臓専門医は必ずいるとは限らないからね。心筋梗塞も狭心症も心電図は特徴的だからすぐにわかる。なので僕も否定的。
ストレス+脱水症状ですぐに頻脈はなるよ。まあ、24時間ホルターぐらいは念のためしておくといいかな。また何か疑問があればいつでもメールくださいね」
そして今日。
ドクターの再診の日だったので病院に行くと、3分で終了した。
「異状なし。」
ダンナは1週間ほどごはんを食べることが出来なかったので退院直後はかなりやせてしまって痛々しいほどだった。発作が起きたことがショックだったらしく、「自分は重大な心臓病なんだ」と勝手に思い込んで今はかなり弱気になっている。タバコが吸えなくなったことも大きいようだ。
やや不機嫌な彼が狭いアパートに戻ってきて、いつものように寝息が聞こえて、温かい手がそこにある。「しょっぱいなあ」と文句を言いながらも私が作った夕食を食べて、彼のバイクの後ろに乗ってスーパーマーケットに買い物しにいく。
私の思い過ぎだったが、彼の命が奪われそうになった恐怖感は2度と忘れない。
「死」をちらつかされたことによって、「命」を思った。
今回の思いがあれば、この先の人生何があっても乗り越えられると思う。
ありがとう、ありがとう。
彼を返してくれてありがとう。
けして彼のこれからの人生、無駄にはしないから。